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力道山 死因は? 刺した男はヤクザ? [芸能]

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力道山 死因

日本プロレス界の父、とまで言われ親しまれた力道山

生きていれば90歳前後だろうか。

朝鮮人を両親に持つ彼は、偉大なプロレスラーとして、
その名を歴史に刻んだ人物だった。

大相撲で約10年活躍した後、突然の廃業で相撲界を
さることになる。

そして1952年、プロレス界入り。

日本国民の大きな支持と期待を背負い、力道山
パートナーである、柔道堺において最強最高といわれた
木村政彦と日本国民を大いにわかせた。

しかし、試合進行の台本の存在が気に食わない
力道山は、それを無視し相手を倒してしまう。

このことが原因で、2人の仲たがいにつながり、
あの「昭和の巌流島」と呼ばれた歴史的な試合を
開催する経緯となる。

この試合は壮絶なもので、当時のファンが期待したものではなく、
とても後味の悪い結果となる。

それもそのはず、台本が有るにもかかわらず、力道山
それを無視して、木村を完全にノックアウト。

力士時代に培った、容赦の無い張り手は、
木村に血を吐かせ、文字通り血の海にしずむ、
という結果に終わる。

これが原因でプロレスがそれまでの勢いを失い、
ダメかと思われたが、そこは力道山、彼の力で
国民を魅了し、さらなる高みえと登っていった。

1963年のマッチの一つは、視聴率が実に64%を超え、
当時の彼の人気を、十分に物語るものだと言えよう。

そして1963年12月、悲しい事件が起こる。

赤坂で飲んでいた彼は、些細な事からヤクザ組員と
喧嘩になり、刺されてしまう。

そして7日後には帰らぬ人に。

このことで、日本中のファンは悲しみにくれた。



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